光華女子学園

光華とは『仏説観無量寿経』に表れる言葉である。この経典は万物が本来帰趨すべき理想世界としての阿弥陀仏の浄土に、今こそ我々も向かうべきであることを説いたものである。その中で光華とは、清浄仏国土の阿弥陀仏の光を華に喩えた表現である。仏教において「光」とは、人知を超えた永遠の理法としての究極の智慧を意味する。その光を受けてはじめて、われわれの虚仮不実の身が照覧され、真実を求めての歩みが始まる。 「真実というは即ちこれ如来なり。如来は即ちこれ真実なり」と『涅槃経』は明言する。すなわち真実心とは、仏の心のことである。そして「仏心というは大慈悲これなり。無縁の慈をもって衆生を摂す」と『仏説観無量寿経』に表れる。従って、真実心とは慈悲の心である。 我々が真実心を拠り所として生きるとは、慈悲の心をもって、他との関係を生きることにほかならない。なんとなれば、われわれは、目に見えるもののみならず目に見えないものをも含めて、時間的に空間的に一切のものとの関係・つながりの中にしか存在しえない、すなわち無我なる存在であるからである。 慈悲の心とは、要約すれば、他人の苦しみ痛みを我がこととして受け止め、その苦を除き楽を与えることであり、思いやりの心である。この慈悲の心は、お互いが他との関係の中にしか存在しえない無我なる自己の目覚めから発する。そこにすべてのものによって「生かされている私」の気づきが生じ、そこからすべてのものが性差をこえ、差別なき平等の存在であることに思い到る。